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浅田真央ちゃんに感謝!! [エンタメ]

浅田真央ちゃん本当にありがとう!!



ソチオリンピック Yahoo! JAPAN - 【ソチ五輪】真央、完璧フリーで号泣6位!亡き母へラストダンス/フィギュア(サンケイスポーツ)
ソチ冬季五輪フィギュアスケート女子フリー(20日、アイスバーグ・スケーティング・パレス)フィギュアスケート女子のフリーが行われ、19日のショートプログラム(SP)で16位と出遅れた前回バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(23)=中京大=はフリー3位となる自己ベストの142・71点をマーク。合計198・22点で6位入賞した。冒頭のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を今季初めて成功。全6種類、計8度の3回転ジャンプをすべて決めることはできなかったものの、亡き母・匡子(きょうこ)さん(享年48)へラストダンスを届けた。  涙で視界がかすんだ。ラフマニノフ作曲の『ピアノ協奏曲第2番』を演じきり、堂々と胸をそらした。迫真の247秒、自然と熱いものがこみあげた。目を真っ赤に腫らした銀盤のヒロインに、無数の花束がスタンドから投げ込まれる。最後は天真爛漫な“真央スマイル”が広がった。  「きのう悔しい思いをして、心配してくれた人がたくさんいた。最高の演技をして、恩返しすることができた」  冒頭のトリプルアクセルはきれいに着氷。投入回数を1回に減らした戦略が当たった。続く2連続3回転ジャンプは、後半のループが回転不足。ダブルアクセル-3回転トーループのコンビネーションはトーループが回り切らず。五輪で女子初の全6種類の3回転ジャンプ成功-の目標にはあと一歩届かなかったが、142・71点はフリーでの自己ベスト。ソトニコワ(ロシア)と金妍児(韓国)には及ばなかったが、SP16位からごぼう抜きした。  19日のSPでは3つのジャンプをことごとく失敗した。55・51点は2005年11月にシニアの国際大会に初出場して以降、4番目に低い得点。SPの順位が2桁になったのも初めてだったが、一夜で“劇的”な復活を遂げた。  バンクーバー五輪後の2010年9月から佐藤信夫コーチ(72)に師事。その仲を取り持ってくれたのが、11年12月9日に肝硬変で亡くなった最愛の母・匡子(きょうこ)さん(享年48)だった。名古屋から佐藤コーチの活動拠点がある新横浜まで足を運び、娘の指導を懇願。当初は受け入れに難色を示した本命を口説き落とした。  名伯楽も必死だった。午前中の公式練習では前夜のショックを引きずったように、真央は精彩を欠いた。ここで“逸話”を持ち出した。かつての教え子が試合直前で高熱を出しながら、最高の演技をしたことを。半世紀以上、スケートを生業にしてきた恩師の言葉が胸に響いた。「何かあったら『先生が助けにいくから』と言ってくれた」。リンクを降りた瞬間、その胸に飛び込んだ。  母の死去後、2012年春の世界選手権(ニース)で6位に沈み、2週間ほど氷上から離れた。約1カ月後、姉・舞さん(25)とカナダ・トロントへ向かい、振付師のローリー・ニコル氏の元でプログラム作りに励んだ。山と湖に囲まれた大自然に癒やされ、再起することを誓った。  「いまは悔しさとやりきった気持ちがある。これから『よかった』と気持ちが、強くなっていくと思う」  天国で見守る母にも胸を張って報告できる。この4年間、ジャンプのスランプやつらい別れを乗り越え、真摯(しんし)にフィギュアスケートに向き合った日々は、金メダルにも負けない、すがすがしい“輝き”を放った。


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浅田真央ちゃん本当にありがとう!!


浅田真央ちゃんが自身の集大成であるフリーで最高得点!!

文字通りフリーの金メダリスト!!

浅田真央ちゃん本当にありがとう!!

浅田真央ちゃん、感動をありがとう!!







そして・・・
キム・ヨナが銀とはおかしい・・・
誰が見てもロシアより良かったのに
開催国加点があるとは本当か・・・
素人が見ても金メダルはキム・ヨナだった!!






最後に日本の恥じさらし
森元首相・・・
お前はアホか!!
浅田真央ちゃんに
「あの子、大事なときには必ず転ぶ」と発言・・・
おい、森・・・
お前な・・・
寝言は棺桶入ってから言えボケ!!
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